古典作品なんて、なんでわざわざ苦労して読まなければいけないの?
── あなたは、そう疑問に思っているだろうか。
確かに、多くの人にとって「古典」といえば、高校までの勉強で終わった「意味のよく分からないもの」と映っているかも知れない。
でも、あえて力説しておこうと思う。学校のお勉強が終わった今だからこそ、古典に挑もう。
なんのために古典を? ── それはずばり、読解力、理解力、思考力などなど…何らか自分の思考回路のレベルアップのためだ。AI時代ほど、個人の読解力、文章分析能力が求められる時代はない。そして、その一部としてやや小難しい表現としての古典的表現も当然入っている。
もちろん、あらゆる古典作品を、そういう読解スキル向上のために読むべしなどというつもりはない。
源氏物語だの更級日記だのといった、いわゆる名作は教養として楽しみたい人が楽しめばいい。日本人の心や文化のルーツを知るという価値もあるし。それはそれで価値のある学びに違いない。
「古典作品」とは何を指しているのか?
古典作品というのは、厳密に定義すれば明治時代以前の作品を指すことが多いが、別にここでは日本の古典作品に限定するつもりはない。
例えば、デカルト著『方法序説』などの有名作品を思い浮かべる人もいるだろうか。この作品の古さというよりも、日本語訳の格調の高さ(古めかしさ)と内容の難しさから、なかなか頭を抱えるレベルの古典作品だ。
逆に福沢諭吉や夏目漱石あたりは、古典とはいえ、そのまま読んで楽しめるレベルの言葉で書かれている。
もしあなたが「古典作品で何を読もう?」と悩んだら、手っ取り早く岩波文庫から興味を惹かれる本を手に取ることをお勧めしたい。
そして、私は数ある岩波文庫の中でも、この2冊を「ぜひとも、読むべし!」と主張しておきたい。読みやすさと読みづらさのほどよいバランス、そして学べる価値の濃さから投資対効果が抜群に高い本だ。
1.福沢諭吉著『学問のすすめ』

僕らが自立した存在、自由な存在でいるために何を学ばなければならないのか。時代が変わり、社会が変わろうとしている時に、どういう態度で時代と向き合わなければならないのか。そんなことを教えてくれる貴重な教科書。
超訳などのやさしく現代語訳されたものではなく、ぜひ岩波文庫で読んで欲しい。そして、小難しい言葉を読み解いていくことの価値を実感してほしい!
2.プラトン著『ソクラテスの弁明』

あなたはそのために生き、そのために命を懸けられるような何かを持っているだろうか?
この本は、私たちが何にしたがって生きるべきか?を問いかけて来る。
ソクラテスが命を賭して守ろうとした美学。信じるものがもっている者の強さ。2300年の時を超えて、ソクラテスが語りかけてくる価値を全力で受け止めよう。
「読みづらさ」という価値
今、あえて古典作品の中でも読みづらさ抜群の岩波文庫をお薦めしたのにはワケがある。
正直、岩波文庫は読みづらい。そこがいい。
「古典作品」の価値を生み出すベースは「古典独特の読みづらさ」にあると考えるからだ。
さらっと読めないからこそ、言葉のひとかけひとかけを丁寧に組み合わせながら、その意味と意図をはかることになる。それゆえ心と頭の深いところまで響いてくるだけの時間的余裕がある。
その読みづらさを乗り越えられたとき、難解な言葉を咀嚼できる理解力と同時に、「今」に生きる「ちっぽけな自分」の価値を相対化し、大いなる未来を創造する力を手に入れられる(はずだ)。
では、読みやすい本は価値がないのか…?
もちろん、そんな話ではない。『ソクラテスの弁明』をマンガで学んだとしても、その生き様は理解できるし、感銘を受けるかも知れない。
ただ、せっかくだからAI時代をサバイバルするための、とことん考え抜き、言葉を吟味していくような言葉の咀嚼能力を鍛えていく練習をしたいのだ。
古典作品を「超訳」とか「マンガで分かる」などの分かりやすくかみ砕いた作品として読むのは「もったいない」のだ。
「古さ」より「時代を超えた価値」
とはいえ、ここで「読むべし!」という古典作品の本質は「古さ」ではなく、「模範となるよさ(典)」であることも間違いない。
時の試練を経て、なお私たちに「価値」を伝えてくれる書物だ。
例えば、昭和の初期(戦前ぎりぎり)に出版された『君たちはどう生きるか』。これなど、100年ほどしか経っていないが、「時代を超えて、素晴らしい価値を伝えてくれる」という意味で「古典」と呼ぶに値すると考えている。(文章の読みづらさもライト級だ。)
古典というより「古典的名著」というニュアンスかも知れない。

「古典的名著」という古典
古典作品ほど古くなくても(そして文章が読みづらいわけじゃなくても)、一世代以上の時を経た名著は「古典的名著」と読んでいいと勝手に思っている。
例えばビジネス書の名著中の名著『7つの習慣』が出版されたのは平成元年、1989年だ。
自由競争と効率性がもてはやされた新自由主義的空気へのアンチテーゼとして書かれた作品だが、その主張は人間性の深いところに根ざしたものであり、平成の時代を超えてなお、その新しさと価値を失わなっていない。
私は「一世代」を30年ほどととらえている。30年経つと親子の世代交代、技術的な世代交代があり、価値観も大きく変わっているものだ。(1989年には、まだインターネットも今のような携帯電話もなかった!)
そういう「一世代を超えて、なお輝きを失わない作品」を古典的名著と呼びたい。
具体的には…
- 『小倉昌男 経営学』
- 『道をひらく』(松下幸之助)
- 『マネジメント』(ドラッカー)
- 『仕事は楽しいかね』(デイル・ドーテン)
- 『人を動かす』(D.カーネギー)
- ビジョナリーカンパニーシリーズ
などなど挙げ始めたらキリがない。
これらの本は、人間性やビジネスの本質をついているが故に古さを感じさせない。
でも、作品の奥には、著者が身を置いていた社会の歴史的、地理的背景が「文脈」として横たわっている。著者の頭の中には、想定する読者の生き様、苦悩、歓喜といったものが、リアルに描かれていたはずだ。
そういったところまで降りていって読み直すことで、その価値がさらに深まること請け合いだ。著者の語る言葉が、時代を超えてあなたのうちなる問題意識と結びついた時、それは単なるノウハウを学んだ時とは違うレベルの発見と学びを見いだすはずだ。
こういう時代を超えた価値を伝えてくれる古典作品の持つパワーを、向坂氏はこういう言葉で表現している。
古典とは何らかの意味で変革の書である。
向坂逸郎著『読書は喜び』
その真意を、古典作品をじっくりと噛みしめながら味わってみて欲しい。
結論:古典作品・古典的名著をじっくり読もう!
そういうわけで、古典作品には、わかりやすい本をサクサク読む喜び、お手軽に「分かった!」と感じる喜びはないかも知れない。
でも、読みづらいところにこそ古典を読む価値があるわけだ。古典を読むフォーカスは「今」ではなく、「未来」にある。今の手っ取り早い成果を拒否し、未来を創る強さを手に入れるのだ。
ということで、最後に岩波文庫からお薦めの本を、プラス3冊紹介して締めたいと思う。
セネカ著『生の短さについて』

忙しい現代にあって、「時間」を、何かを生み出すリソースとしてその価値を重く見ているはずの私たちに、目に見えないが故に浪費され、人とスマホから浸食されていく時間との関わり方について、鋭く課題を突きつけられて、はっとさせられる書。
ただ、それは「時間管理」というプラグマティックで軽薄なハウツーに向かうものではなく、「自分の人生の意味は?」という人生哲学に向かうものなのだ。
マキャヴェッリ著『君主論』

人生戦略、ビジネス戦略を学ぶ書といえば、孫子『兵法』と、この『君主論』だと言うと言い過ぎだろうか。
個人的には、マキャベリの独特の比喩表現など、説得の技術も学ぶべき価値が高いと感じている。
世阿弥著『風姿花伝』

人生に一芸を持つことの価値、何かを成し遂げるためにどのような成長のステップを踏んでいくべきかという教育論的な学びの深さ、そういった一流を目指す人のための教育書として、高い価値がある本。
もしあなたが、何らかのプロフェッショナルを目指しているなら、そしてそのための発信(マーケティング)活動をしているなら必読といっていいかも知れない!

