AI時代だろうが、AI時代でなかろうが、読書は読書だろ? ── そういう考え方もある。
特に「楽しむための読書」はそれ自体が目的だから、環境が変わろうが時代が変わろうが、変える必要はさらさらない。
でも、「自分が生きている今の時代を、よりよく生きたい」とか「未来をもっと豊かにしたい」と思ったら、時代というのは大きな意味を持ってくる。
読書という行為は、常に僕らが生きている時代とか社会という文脈、舞台装置の中で意味を持つものだから。
では、「読書」をとりまく、この「AI時代」とはいったいどういう時代なのか? 読書のあり方を考える大前提として考えておきたいと思う。
「AI時代」を理解するための5つの視点
ここではAI時代を広く理解しようなんて意図はなく、あくまで「僕らが読書という営みを考えて行く上で」という条件付きでAI時代をとらえてみようというわけだ。
1.「知的コスト」大暴落時代
解説するまでもない話で恐縮なのだが、AIの登場で「考える」という作業が驚くほど楽に、速く、そして良質になった。ライティングで所要時間が40%減、品質が18%アップなんて言われているし、プログラミングも55%ほど能率が上がったというデータもある。英語の翻訳に至っては、もう翻訳者とか通訳とかが不要になるレベルだ。
プロの仕事には、もちろんかないっこないのだが、パターン作業とかフレーム作りの作業、つまり「本作業の前工程」なら任せられるし、なんなら「点数としては70点だけど、タダだし、これでいいや」という発注者も出てくる。(このブログのアイキャッチは、すでにMidjourney君に任せることが多くなったね。)
僕らの生きているこの社会、安易にホワイトカラーを目指せなくなる社会になりつつある。
2.粗製濫造的な専門知識発信
これは「1.「知的コスト」大暴落時代」の話と表裏一体のものでもある。
AI時代以前から、あらゆる情報が本物を偽装し、既存のマスメディアを含め何が本物か何がフェイクなのかが分かりづらくなってきていた。
しかし、AIの登場によってその粗製濫造された情報の質が驚くほど高くなった。誰でもワンクリックで、科学的な知見を踏まえた専門的な情報を発進することが出来る。情報は、それがテキストであれ画像であれ動画であれ、本物と偽物の区別がつかないというより、「本物」「偽物」という概念が境界を失いつつある。そして、おそらくネットの住民はその真贋を見極めようとも思ってないかも知れない。
これは堺屋太一氏が著書『知価革命』で「次代は高技術中世か」として予言していたことでもある。その時代がどういう性質のものなのか興味があれば、中古書店で手に取られたし。
「次代」は豊富な時間と豊富な知恵を多消費することが好まれる反面、物財の量的増大への関心が薄れる社会だ。「次代」の人々は、豊富な時間を使って、豊富な知識を受けて、社会的主観の変化と多様化の中で変転甚だしい選択を繰り返す人間であるに違いない。
(中略)
「次代」の人々は、使用価値そのものよりも、自らが帰属すると信じる集団の社会的主観に合致したもののためには惜しみなく対価を支払うはずである。
── 同書(文庫版)p.222-223
3.限界費用ゼロのネット経済
限界費用、つまり「1つの商品を生産した後、2つめ以降を追加生産する時のコスト」が限りなくゼロに近づく社会。
映像コンテンツを1つ作ると、後はどこかのプラットフォームにアップロードしておけば、コストゼロで何本でも販売できる。
そして、Google, Amazonの例で分かるように、勝者総取り的様相と、ロングテールのニッチの勝機とが共存する社会でもある。また、プラットフォーマーが濡れ手に粟の状態になる一方で、プラットフォーム上での戦いは熾烈になりがちでもある。
限界費用ゼロという枠組(パラダイム)がこれからの時代をどう変えていくことになるのか、未来予測に興味があるなら、こちらの本を読んでみてはどうだろう?
『限界費用ゼロ社会』
4.注意の希少化
「情報の富は注意の貧困を生む」(Simon)という言葉が端的に言い表しているとおり、情報洪水は人間の注意を散漫にさせる。
AIが専門家を擬態したnoteやブログ、動画、ポッドキャストなどを大量かつ即時に供給し続けることで、過剰な情報に対して、それを選び、意味づけるための注意が希少になっていくわけだ。
それだけでなく、朝からスマホをチェックし、仕事とスマホ、周囲の状況とスマホの間を行ったり来たりすることで、ランチの前には認知リソースが枯渇し始める。いわゆる決断疲れを生み出しているわけだが、さらに夜、眠るときでも枕もとにスマホを置くことで睡眠の質を悪化させ、ますます認知機能が弱っていくことになる。
5.一億総発信者=編集競争
AIのアシストによって誰もが気軽に発信できるようになった結果、製作より「編集作業(選択・構成・文脈化・審美的/世界観的統一など)」に大きな価値が移っています。
中身をAIが作ったのか、人が作ったのかはあまり関係がなく、どういうコンセプトで、誰にとって魅力的に仕上げられたのか、どういう世界観を見せてくれるのかが勝負ってことですね。
これについては、一流編集者にして「AI時代の発信」について含蓄に富む発信を続けている佐渡島庸平氏の「コンテンツDJ」論を読んでみて欲しい。

新しい時代に僕らが目指すべき読書とは?
フォーカス・リーディングを書籍として発表した当時は、ビジネス書全盛期だった。
やたらと多読が煽られ、「読んだらブログで発信しよう」という軽薄な出力がもてはやされていたことは記憶に新しい。ただ単に書籍から抜き書きしてきただけの情報に「いい学びと気づきがあった」レベルのコメントを添えてブログに披露していた時代だ。
第3次速読ブームと言われた時代でもある。
効率的に大量の情報を摂取して、生き方を変えよう、ビジネスを変えよう、という読書。2009年まで続く起業ブームでもあった。
当たり前だけど、そんな時代と今の時代に同じ読書は必要ない。
ビジネスや人生に役立つ情報が欲しければAIに質問したらいい。速読でビジネス書を読むよりよっぽど速いし、情報が正確だし、個人にカスタマイズされた情報になって提供されるので使い勝手もいい。ちょっとした知識なら流れて来る動画でいくらでも学べる(気がしてしまう)。
おまけに本を1冊読み通す時間も集中力も、僕らには残ってやしない。そんなことないかな?
では、と、またあなたに問いかけてみたい。
何のために本を読むのだろう?
どういう知性が手に入れば満足だろうか。
どういう知性が手に入れば、こういう時代に自分が納得できる働き方と生き方ができるだろうか?
次回は、今回の「5つの視点」から考える読書の方向性について考えてみたい。
よろしければ、おつきあいください。




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