あなたは「奇跡の人」という映画をご存じだろうか?
盲聾唖の三重のハンディキャップを背負いながら、素晴らしい成長を遂げ、やがて大学も卒業。
教育者として、著述家として、講演家として大活躍した人物。
きっと知らない人がいない、そんな有名人。
── そう。ヘレン・ケラーの映画だ。
ちょっと想像してみて欲しい。
教育を受ける前の段階から目が見えず、耳が聞こえなければ、私たちはどうやって学べばいいのだろう?
学ばなければ、私たちはどうやって人間として成長できるのだろう?
その成長のプロセスに、想像を絶するような大きな障害があったことは想像に難くない。
さらに想像して欲しい。ただ、身体に触れるものだけが自分の世界のすべて。
言葉とか概念とか思考とか、そういった人間らしさを作る要素が一欠片もない存在。
そういえば「啓蒙」という言葉がある。蒙(もう;暗い)を啓(ひら)くという言葉だ。
真理に対して無知である状態を「暗い」と考えているわけだ。そして、それを啓発し、真理を知るよう仕向けることを「啓蒙」というらしい。だから、英語で啓蒙を「enlightenment」(明るくする)と表現する。
言葉という「光」が世界を照らしたとき、初めて世の中のことが分かるようになる。
ヘレン・ケラーという人は、目も見えず当然光がない世界で生きていたわけだが、耳も聞こえなかったため世の中を照らす言葉という明かりすら持っていなかったわけだ。
そう。
ヘレン・ケラーは、「光」がまったくない中で生きていたわけだ。
でも、「人並み以上に」成長し、立派に社会で活躍できるようになった。これを奇跡と言わずして何と呼ぶだろう?
でも、と僕は考える。── ヘレン・ケラーは本当に「奇跡の人」なのか?
いや、確かに奇跡と言えば奇跡。でもそれは、きっとね、あなたというかけがえのない存在が、あなたらしくイキイキと生きている、それと同じレベルでの素晴らしさなんだ。誰しも、親から譲り受けたDNAと、育った環境、受けた教育で、かけがえのない価値を持つ、ユニークな存在なんだ。
ヘレンは、ヘレンが持って生まれた素質と彼女にしかできなかった経験を結実し、開花できた。その事実こそ、単純に素晴らしい。
だとしたら?と僕はまた考える。──「奇跡の人」というのは?
そう。サリバン先生だよね?
手に触れさせたものに名前があることを教えるのに、どれだけの時間がかかっただろう?
「言うことを聞かない」以前に「言うことが届かない」相手に、何かを教えるんだ。知性の受け皿、思考の受け皿、興味というアンテナ、すべてを持たない相手に。それでも、サリバン先生は、忍耐強く、ヘレンとのコミュニケーションを試みた。
頼りはヘレンの可能性への確信。そして長い長い時間をかけて、本当に本当に途方もない労力と愛を注いで、ヘレンを開花させたんだ。
彼女が最初、ちゃんと“動物の調教”と同じレベルにすら見える厳しいしつけから、本気でやったからこそうまくいった。そういう点では「正しい手順、方法」もすごく大事な要素なんだ。
だから!
『奇跡の人』という映画の原題は“The Miracle Worker”なんだ。
ヘレン・ケラーが奇跡を起こしたんじゃない。ヘレン・ケラーは生まれたこと自体が、その存在自体が奇跡だったんだ。あなたの存在が奇跡であるように。あなたという存在が、唯一無二であるように。
ただ、その本当の価値を確信して、愛情を持って、強烈な忍耐と意志を持って、引き出す努力ができたのが、サリバン先生だったんだ。
だとしたら?
すべての親と教育者が、目の前にいる子の「奇跡的な価値」を確信し、愛と忍耐を持って関われば、その子の価値は必ず引き出せる。だから教育は ex-ducere という「外に引き出す」という言葉で表現されるんだ。
あなたが持って生まれた価値、育つ過程で手に入れた価値。
それを、あなたが生きる世の中で「価値」として受け止められるように、十分に引き出し、育むこと。決して教育とは「受ける」ものではないし、誰かに「授ける」ものでもないんだ。そんな受動的なおこないでは、決してない。
その人の持つ価値を確信し、引き出し、成長を促すような、能動的な営みなんだ。
蛇足だとは思うのだけど知って欲しいことだから書いておきたいと思う。
「教育を受ける権利」なんて言っているのは日本くらいのものだ。だって、この言葉の原典は教育勅語なんだ。「教育とは天皇が赤子たる国民にお与えくださるもの」という発想を、旧文部省の官僚たちが新しい教育の中に埋め込んだもの。
僕らはどれだけ長い時間、この亡霊のような言葉に思考回路を支配され続けているのだろう? そして、それくらい言葉というのは強力なんだっていう証左でもある。
そろそろ僕らも「教育は受けるもの」なんていう明治時代の化石レベルの思考から自由になろう。
教育というのは本来、自分の可能性を掘りおこし、開発するという能動的な作業なんだ。
最後に、あなたに問いたいと思う。
あなたはあなたの中に眠る可能性を確信して、自分への、自分の未来への愛を持って、忍耐強く、自分の価値を引き出すだけの努力をしてきただろうか?
「あー、むり!」なんて、簡単に諦めの言葉を口にしていないだろうか?
間違った独りよがりのやり方で、あなたの貴重な時間を無駄にし、手に入れられたはずの成果をみすみす流してしまわなかっただろうか?
サリバン先生は、どんな状況でもあきらめなかった。愛と意志を貫いたんだ。
あなたが、あなたの価値を引き出すのに、サリバン先生より大きな障害があっただろうか? ──恐らく諦める理由、途中で放りだす理由はどこにもない。微塵もね。
あなたは、ヘレンと同じ奇跡の存在であり、サリバン先生と同じ奇跡の人になれるはずなんだ。
奇跡を起こすために必要なことはシンプルだ。
まずは、他ならぬあなた自身が、あなたの真の価値を確信しよう。
そして、奇跡的な自分の存在、価値を確信し、忍耐強く、それを引き出す正しい努力しよう。
実に簡単じゃないか? その方法は、ブログや講座の中で僕なりに言葉を尽くして伝えているつもりだ。
さぁ、やろう。時間はかかるかも知れない。
だって、よく言うだろう?── 大器は晩成すって!
ちょっと遠い未来の、輝くあなたの姿をリアルにイメージして、今、できる努力をしてみよう。まずはその一歩として読書を変えてみよう。
あなたの未来が輝かしいものであることを、僕はネットの向こう側で祈りたいと思う。