AI時代に突入して、あらためて「読書」の価値が見直されている。というより、「読書の価値を見直さないとマズいんじゃないか?」という危機感がある、と言った方がいいかも知れない。
この記事では、なぜAIが何でも教えてくれる時代に、わざわざ面倒くさい読書の必要性なんて考える必要があるのかってことを解説しつつ、AIをよきパートナーとしてあなたがさらに飛躍していくために、どういう本の読み方が必要なのかを語ってみようと思う。
まず、ちょっと思い浮かべて欲しいのだが、最近、難しい文章、やたらと長い文章を読んで頭をひねりながらポイントを整理したり、人と議論したりするという経験が減っているのではないだろうか?
AIに「この文章を300文字くらいで要約して」とか「ポイントを整理して」みたいな感じで、アタマを使うことなくポイントがつかむ…という体験が広く受け入れられていることは間違いない。
心理学の世界では「desirable difficulties(望ましい困難)」という考え方があるんだ。
指導者が、意図的に負荷のかかる状況を作ることで学びの質を上げようというもの。「あれ?なんだっけ…」とか「えっ?どういうこと?」と思うような状況を作った方が脳みそを使うことになって学習効果が高まるということ。逆に、指導者が分かりやすく教えるほど、学習者は深く学ぼうとしなくなるってことでもある。
AIに頼って「楽してポイントだけを理解した気分になる」─ これはヤバいのではないか、というわけだ。
こういう「ちゃんと自分の頭を使って考える、整理する」ということも含めて、読書を通じてアタマを使う訓練をしておかないとまずい。これは間違いない。同時に、AIから最高の価値を引き出すためにも、「読書によって手に入るであろうスキル」も必要だろってことも考えておきたいところ。
この場合、ポイントはこの2つだろう。
- 論理的思考力;事実に基づいてロジカルに思考を展開していく力。論理的な破綻やすり替えを見抜く力
- 批判的思考力;「なぜこの結論?」「根拠は何?」「反対意見はない?」等と問いかけ、反省的に思考する力
実に当たり前のようなスキルであり、AI時代じゃなくても求められていたスキルだ。
ただ、「AI時代に」とわざわざ言わなければならないことからも分かるとおり、そんなに単純な話ではない。
では、実際のところ、読書を通じてどのような力を手に入れることが求められているのか考えてみたい。
前提となる時代観
まず、前の記事で書いた「読書に関わりそうなAI時代のとらえ方」を項目だけ挙げてみる。
- 「知的コスト」大暴落時代
- 粗製濫造的な専門知識発信
- 限界費用ゼロのネット経済
- 注意の希少化
- 一億総発信者=編集競争
詳しくはこちらの記事を参照して欲しい。(まぁ参照しなくても、今回の記事の理解には支障はないはずだけど。)
簡単に言えば「もう、読書をする時間も集中力も意志も激減してるし、そんな面倒くさいことしなくても、AIに任せたらやってくれるじゃん?」という時代の空気があるよね、と。でも、そのことが私たちの能力を奪っていくだけじゃなく、僕らの社会の未来を毀損してしまうのではないかと思うんだ。
AIが人間の未来を奪う過酷な時代?
「AIに奪われる仕事は何か?」─ この話題は、もう随分と前から色々な人が、いろいろなところで語ってきたテーマだ。ただ、今回の変化は、「どの仕事が奪われるか」という話じゃない。
過去の技術革新の場合、淘汰された仕事がある一方で、新たに生まれて来た仕事がある…というような「社会・産業構造のシフト」だった。社会全体として見わたしたとき、ただ登場人物が変わっただけだったり、作業がより専門的になっていたり、もっとクリエイティブなものになっていたりするだけだった。
でも、AI時代のシフトはそんなに簡単じゃない。
その実態は「あらゆるホワイトカラー職のヒヨッコたちの仕事が奪われている」ということ。ここでいうヒヨッコというのは、「その世界で一流と呼ばれる手前のプロ」のことであり、本来なら社会の先輩達がよってたかってフィードバックを与えて育てていくべき存在のことだ。
- 公共団体が、ポスターを作るのにデザインを公募しなくなり、AIのイラストを使うようになった。
- SEO対策の記事や専門性を伝えるための記事、あるいは映像をAIに作ってもらうようになった。
- 専門家にチェックしてもらっていた書類の作成やチェックをAIに任せられるようになった。
- 新入社員が担当していたデータの整理や書類作成をAIにさせるようになった。
こういったことが起こった結果、ヒヨッコたちが報酬をいただきながらフィードバックを受け取れる場が消滅してしまいかねないってこと。
今までは「大学教育と社会で求められている技能は別」という前提で、社員教育があり、OJTで先輩に帯同して現場で経験を積む機会が与えられたよね?
先輩からのフォローが前提で、半完成品、半製品的なプロトタイプを若手に任せて、ぶっ叩きながらもフィードバックが与えられる環境があったよね?
みんな、そこで技能を磨いてきたんじゃなかったっけ?
だから、僕らは誰かの専門家としての信頼性を測る一つの指標として、「どこでどういう下積みを経験してきたのか」を見ていたんじゃなかったっけ?── なんてことを思うんだが、今や「もうAIに任せたら人間は不要かも」「プロのレベルじゃないけど、タダ同然だからいいだろ」ということで、ヒヨッコの仕事をAIに代替させるようになって来たわけだ。
そういった「下積みの経験値が与えられない社会」になりかねない状況がある。もちろん、そうならないように、むしろヒヨッコがよりよく成長できるようにAIをどう成長支援に活用できるか模索する組織や人々もたくさん存在する。でも、危機感は持って置いた方がいい。
組織が配慮してくれたとして、冒頭に書いたように個人のレベルで「自分自身もアタマを使わなくても、それっぽい知識と出力を手に入れられる」状況に甘んじてしまっていると、ちょっとマズいんだ。
この状態で10年経過したら…と想像して欲しい。ちょっとしたディストピアになっていそうじゃないか? そして、今のあなたのAIをどう使うか、その準備としてどう本を読むかが、未来を分かつことになるかも知れないんだ。
なぜAI時代に読書力が必要なのか?
そういった時代の変化を踏まえつつ、「なぜ読書力か」を考えたい。
AIをただ便利な道具として手間を省くために使うのではなく、自分の脳みその拡張として使う、あるいはよきパートナーとして、よきコーチとして使っていくことで、誰の未来も毀損せず、むしろ豊かになっていくような方向。これを読書を通じて作っていけるのではないか、という思考実験でもある。
まずは、そもそもの大前提として、単純に論理的思考力・批判的思考力と言ってしまわず、なぜ「読書力」と主張するのかだ。これは、読書力そのものを再定義することで、そういった力をすべて包含しつつ、もっと実践的・創造的な知的スキル、「インテリジェンス」というべき知性を目指すべき、という発想が根本にある。
まぁ、大上段にそんな大層なことを言わなくても、AIをよきパートナー・コーチとして使うためには、次の2つのことを考えなければならないことは、あなたも理解してくれるだろう。
- AIは自分が問いかけた質問を起点にして、答えを展開してくれるから、まず自分の「問い(プロンプト)」の質を高める必要がある。
- AIが提案してくれたことを批判的に整理・理解し、そこからビジネスに生かす発想を得るためには十分な知性の受け皿と論理的思考力が必要である。
この2つを「知的スキル」の観点からマトリクスで表現したのがこの2つの図だ。


それぞれについて、もう少し丁寧に説明しよう。
1.AIに投げかけるプロンプトの質
このマトリクスは縦軸に問いの深さ・浅さを置いている。
一番レベルが低いのは「これって何?」と知らないこと、分からないことを質問するパターン。Google検索の手抜き版的イメージだ。このレベルを上げると、自分なりに考えて答えを出した上で「これについて自分で考えた結果、こういうことではないかと考えたんだけど、足りない視点は何だろう?」というように思考の壁打ち相手として使うような場合が考えられる。その「自分なりの思索」によってどこまで原因や文脈に迫るような「根源(根本)的な問い」にまで掘り下げていけるか、「表面的な疑問の奥にある原理」まで抽象化できるかで、得られる答えはまったく変わるし、そこからどれだけ思考の壁打ちラリーが展開するかが決まる。
横軸には問いの視点を置いている。一人称的な「自分が視ている視点」「自分の問題意識」が左側、相手視点(2人称視点)、第三者の視点(3人称視点)、他の社会や過去の時代との比較、あるいは未来の時代への影響などから検討した視点(多角的視点)を右側に置いている。これはどれだけ視点を変えていけるか、人称を上げていけるかが問われている。これは得られた答えをどう包括的・発展的に思考していけるかに直結していると考えていい。
これについては、石原明著『飛躍の法則』あるいはイアン・マーシャル著『SQ』を読んでもらうと「人称を上げる」という考え方が理解できると思う。
2.AIが出す答えに対する理解と発想の展開
このマトリクスでは、縦軸に「理解のレベル」を設定している。
AIが語る言葉がよく理解できていない状態、あるいは「分かる程度に情報の拾い読みする」状態が最低レベル。これは読書でも同じ事が起こってるはず…。そしてプラス方向には細かい話やロジック(ミクロ構造)も的確に読み解き、全体像(マクロ構造)も十分に把握できている状態が来る。当然、論理的な思考力だけでなく、著者が省略した言葉や思考を補うような推論も必要になるし、自分の知識や体験、隣接するテーマ・ジャンルの書籍の知識を統合していくような作業も必要になる。
最後に書いてあるような高度な理解を「状況モデルの理解」と呼びます。
横軸には「学習のレベル」を設定している。これは認知心理学の「知識の獲得」のレベルに相当し、最近、教育の世界であらためて注目されているブルームのタキソノミーを表現したものでもある。
マイナスの方には「AIが語ったことを理解できたかどうかは別として、言葉として受け止めた」という状態(単なる「記憶」レベル)があり、そこから「理解できた(ミクロ⇔マクロのリンク、状況モデルの理解が理想)」を経て、その知識を他の文脈に生かしたり、現状を批判的に分析するフレームとして活用したりといったレベルを経て、現状を打破したり、発展的に提案するような「創造」レベルに至るという発想だ。
カラーのアイコンを添えてみたのだが、一番左側から「AIの語った言葉を単なる情報として再利用する(Information)」⇒「文脈とリンクした知識として理解する(knowledge)」⇒「知識同士が相互にリンクしたり、一見無関係に見えるところにつながりを発見したりするような直観に基づく洞察(Insight)を得る」⇒「条件・文脈を統合し、未来に対して創造的に提言するような知性(Intelligence)」となる。
ちなみに、これはレベルの高低というよりも、AIの出した情報をインプットとして、どのレベルで統合・出力(アウトプット)していくかという問題だと考えていいだろう。
2つのマトリクスがどう読書と結びつくのか?
もう説明するまでもないのではないかとも思うが、一応、解説してみよう。
AIに投げかけるプロンプトと読書
この横軸は、あなたがどれだけ幅広いジャンルの本を読んでいるか、あるいは同じテーマで複数の異なる視点・視座の著者の本を読んでいるか、それを批判的に比較・分析しながら読んでいるかが試されることになる。よく、読書は「著者の視点と視野を借りて、自分の知らない世界を見ることができる」といわれるが、漫然と読んでいても他者の視点は手に入らない。自分の思考あるいは視点というものをメタな意識で問い直しながら、著者の視点・視座と自分のそれとの食い違いを見ておく必要がある。
縦軸は日頃の読書で、どれだけ著者との対話、というか「なぜ、著者はこういう意見になったのか?」「著者はどういう問題意識を持っていると、こういう視点が持てたのか?」「著者は誰に対して語りかけているのか?」といった著者の言葉の奥を想像するような思考を心がけているかが問われることになる。
これはそのまま、自分のビジネスの現場を見るときの視点だったり、問題点の深掘りの仕方に関わってくる。そういうトレーニングを読書の中でやっていこうや、ということでもある。
AIの出力からの理解・発展と読書
この縦軸は読書の理解の深さと直結するものだ。
まずは気になった言葉だけを拾うような、つまり「点を拾う読書」を卒業したいところだ。面白いデータ、自分が知っていた事実を拾って喜んでいても何も学べていない。それは確認作業に過ぎず、あなたの思考には微塵も影響を与えていない可能性がある。少なくとも3日後には何事もなかったかのような状態になっているはずだ。
せめて、「書かれているストーリーや、著者の考え・ロジックの全体」を理解できるような読み方をしたいところ。これは著者の言葉を追う読書、「線をとらえる読書」というレベルだ。科学的には「テキストベースの理解」と呼ばれている。それを越えて、著者の問題意識・論点を中心に著者の主張の全体像を的確にとらえながら、著者と食い違う論者との比較で理解したり、著者が語らなかったこと、論理の矛盾などを把握できるような理解が理想だ。
横軸は「出力されたAIの回答・解説」を静的な情報として確認あるいは理解して終わりにしない、という「本の読み方のスタンスのシフト」につながる考え方だ。
AIの出力を「情報、新たな知見の入力」ととらえて、自分の意見とのズレを分析したり、自分の思考・理解に足りなかった部分を補いつつ、新しく構築した思考・視野を使って現場の問題を改めて考え直したり…といった動的な思索・出力・創造につないでいこうというわけだ。日頃の読書でこういった読み方ができていると、すべての学びが「現場(site)」⇔「自分(self)」⇔「学び(study)」という3者の相互の循環・円環になり、どんどん発展的なものに変わっていくことになる。
読書を通じて、現場につながる下積みをしていこう
2つのマトリクスは究極的には、同じ発想から生まれたものなんだ。
本を読む時は能動的に読もう、著者と対話しながら読もう、ということ。
そして「一読して分かったつもり」で終わらせるのは避けようぜ、ということ。読書の理解というのは、まずテキストベース(書かれた言葉通り)の理解を超えて、ミクロ・マクロの理解を統合することが大前提だ。さらに、下敷きにされた文脈までも含めて再構成する状況モデルの理解を目指したい。さらに複数の文書を統合してその理解を再構成し、あなたのリアルな課題に対する意見や行動プランを創造する。そういう「読書=インテリジェンスの獲得」を目指そうよ、と。
先に、AI時代はヒヨッコが修行する場所が奪われることが問題だと指摘した。
だから、読書を通じて現場で即戦力になりうるようなトレーニングをしておこう、というわけだ。この2つのマトリクスは「どういう本の読み方を目指すべきか」という方向性を示すというか、自分の読み方を点検するような役割を持っていると考えて欲しい。
問題は「そんなこと言われても、そんな本の読み方とか知らないし…」となると思う。これが、日本の教育の最大の問題だと私は思っている(だから読書教育の研究に励んだんだ)。
そういうわけで、このマトリクスに沿う形で、どう本を読むべきかということについて、その具体的な読み方、トレーニング方法について語ってみたいと思う。
では、また次の記事で。














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