そういうわけで、昨日、眠すぎてダウンしたため中途半端に残っていた続きです。
このエントリーは、ある記事を読んで「もやもやとした違和感が残った」場合の解決方法を模索することを目的としています。
自分の思考を解きほぐす一つの例としてご覧くださいませ。
で、1つめのツッコミで分かったこと。そうか、そもそも論点がずれていたのか。見ている方向が違うのか。(−−;
それはそれで1つなのですが、「ズレ」の根源が見えたことにはなりません。
そこでもう少しツッコミを入れ直していきます。
■第二ツッコミテスト:あるデータが語っていること、語らないことに目を向ける
ここでは、「ある事実、あるデータは、ある特定の(一面的な)ことを語っているに過ぎない」ことに着目してみます。
データとして示されている「電車内で本を読んでいる人の増加」、「書籍読書率の増加」などは、いったい何を語り、何を語っていないのか?
すごく当たり前のことを言います。
これは「本を読む人が増えた」ことを語っています。(爆)
そして、大切なことは「それ以上のことは何も語っていない」ということ。
総論と全体の傾向は見えるけど、具体的な事実は何も見えないんですね。
たとえば、私が中学校教師をしていた時、学年の1〜2割ぐらいの生徒が「教科書を読むのに難あり」の状態でした。
でも、そんな「教科書を読めない生徒」でも、ファッション雑誌なら読めるんですよ。
そして、そういう生徒達の比率は今も昔もあまり変わっていないでしょう。(私がいた学校の比率は高すぎです。普通はそんなにいません。)
そこに「朝の読書」、いわゆる「アサドク(朝読)」が入ってきた!
そういう生徒も本を読まざるを得ない。
で、彼女らは何を読んでいるかというと「恋空」だったりするわけです。実際、教科書を読めない女子高生たちが、携帯小説にはまっています。
これはグラフには「読書をする」という要素として現れます。
雑誌を読んでいた人たちが、代わりに同じレベルの本を読み始めた。
実は、同じようなことがビジネス系の世界でも起こっています。
雑誌という情報源が読まれなくなり、細々した情報はネットに、まとまった特集記事は軽く読めるビジネス書にシフトしました。
ですから、今のビジネス書および新書の多くが「雑誌的な作り」を志向しています。
やはり同じように、グラフには「読書をする」という要素として現れます。
・・・と、ここまで元教師、現速読講師の実感から、一種の仮説を用意してみました。
でも、これは当たらずといえども遠からずなのではないかと考えています。
確かに「本を読む人」の比率は増えているかも知れないけれども、「本当の意味での活字を読み解く力を持った人」は減っているのではないか、ということなんです。
もちろん、その原因はそういう出版界の事情ではなく、教科書すらまともに読ませない学校現場にありますし、限りなく分かりやすくなり、内容もスカスカになった教科書にあります。
ここで、再び「そもそも」に戻るわけです。
「若者が本を読まなくなった」というのは、そもそもどういう問題意識から出てくる発言なのか?
単に販売額や読む人の割合で増えたの、減ったのという話がしたいのか?
それだけなら、Dain氏の示す(というか『本の現場』という本が示す)データを見れば「解答」は明らかです。
でも、そこに何か違和感が残る。その違和感の元こそが、問題の本質なのではないか、と。
そして、この数年で2000億円(約8%)の売り上げが失われているのに加えて、たった半年で丸善だけで4億円近い売り上げ減があるわけです。(しかも前年度が黒字なのに今年は大幅赤字。)
不況になったからという理由で簡単に本を買わなくなったという事実は何を意味するのかってことです。(そんなこと、簡単な話ではありませんが。)
それから、もう1つ「若者は本を読むようになっている」という話。
宇都出雅己氏の『スピード読書術』に出てくる「インターネットと本は相性がいい」という話を引くまでもなく、ネット時代は本が売れやすい時代です。
最強のマーケティングツールともいえる「口コミ」が起こりやすいから。その口コミで本を「買ってしまう」人は若い世代に偏っている可能性は高いですよね。
で、実際、ネット時代になって大ベストセラーが出やすくなったと言われています。
ビジネス書でいうと、1995年のベストセラーTOP3はこんな感じ。
1 堀田力の「おごるな上司!」(堀田 力著・日本経済新聞社)
2 「大変」な時代(堺屋太一著・講談社)
3 人間を幸福にしない日本というシステム(カレル・ヴァン・ヴォルフレン著・毎日新聞社)
このトップ3は、いったい何万冊売れたのでしょうね? CVウォルフレンの本が、そんなにたくさんの人に読まれたとは考えがたいんですが・・・。(ハードカバーの分厚い本です。読みにくさは感じませんが、楽しい本ではありません。)
2008年はといいますと、こちら。
1 脳を活かす勉強法(茂木健一郎 PHP)
2 情報は1冊のノートにまとめなさい(奥野宣之著・ナナ・コーポレート・コミュニケーション)
3 脳を活かす仕事術(茂木健一郎著・PHP)
両者の質の違いは明らかです。
ただ、これも「トップが変わった」というだけであって、おそらくウォルフレンの名著に匹敵するような本も相変わらず売れているだろうし、おそらく10年前に比べれば数は増えているだろうということも想像できます。(そのヘビーな本の読み手は、間違いなく若者世代ではないでしょうけど。)
つまり、Dain氏のいう「出版不況を若者が本を読まなくなったせいにするな」は正解だとしても、私の問題意識である「若者の読書力は大丈夫か?」ということについては、「よく分からない」か「公教育の実態を考えればやばくなっているのでは?」という話にしかならないのです。
■第三ツッコミテスト:全然違う例、事実を引っ張り出してきてみる
思うに、「若者が本を読まなくなった」という人たちの問題意識は別のところにあるのではないでしょうか。
もちろん、批判する人たちは「なんとなく」というレベルで発言し、世の中を正しく見ていないのは確か。これは私も反省。
若者が本を読まなくなったということはないのかも知れない。
でも、確かに活字離れは起こっている。
いや、活字も離れていない。活字の奥行き、行間の深みに触れる作業を粛々と行っている人が減っているというだけ。
教科書的な読み方。表面の意味だけをとらえて分かったことにしているとか、「知る」ことだけにとらわれているとか。
一時期、「分数の計算ができない大学生」が話題になりましたよね。
これって算数、数学の世界の問題ではないんですよ。きっと、もっと根が深い。学校の現場にいる人は、そのヤバサに気がついています。
彼らは、単に分数の計算ができないのではなく、抽象的な思考ができないんです。
分数の計算ができないのは、計算のやり方を忘れているわけなんだけど、実はそれ以前に「分数の概念が理解できていない」という問題があります。だから根が深い問題なんです。
2 4
─×─=?
3 5
という問題を、わざわざ(2÷3)×(4÷5)に書き直して計算しようとして自滅する生徒。
国語の文法の活用とか何とかの説明がちんぷんかんぷんという生徒。
そういう生徒でも、そこそこの私立大学、国公立大学に通るんです。そして、彼らもたぶん「本を読んでいる人」の一員なんです。
だから、か。
イマドキの本は、おそろしく読みやすくできています。
雑誌のようにビジュアルが整っていて、やたらと図解されていて、難しい表現の一切を排除している。。。
そういう本が「本を読む若者」を増やしているということかも知れません。
■「もやもや」を放置しない、ということについて
予想通りではあるけれども、おそろしく長く、そして鬱陶しい話になってしまいました。(−−;
でも、Dain氏の記事を読んで、明快な事実を示されたにも関わらずモヤモヤが残り続けた理由が、これで分かりました。
この記事はDain氏への反論、つまり「いや、若者はやっぱり本を読んでいない」という話にはなっていません。
単に記事を読んで感じたモヤモヤの大本を自分でスッキリさせるための作業をしただけです。
私たちは、なんとなく考えたふりをして、安易に他人の意見に同調してしまいがちです。
本を読んだときもそう。「うんうん、そうそう。自分も何となくそう思ってた。」と、いかにも自分も考えていたかのような充実感を味わってしまいがち。
そして、違う本を読むと違う意見に流される。テレビのニュースを見たときも、政治家の演説を聴いたときも。そして、風見鶏のような状態に。。。
このことについては『フォーカス・リーディング』の中でも、一部指摘したとおりです。
私たちは、もっと自分の思考を分析的、論理的にとらえ直す機会を作らなければなりません。
ブログに何か意見を書くときは、何となく「結果」だけを書くのではなく、それを論理的に説明してみるという作業をするのも1つの手ですね。
そういう「もやもやの根源をすっきりする」作業の1つの形として参考にしていただければ幸いです♪