活字離れ?読書離れ?──「紙の書籍離れ進む」の先にあるのは、どんな未来か?

大学生の読書離れが話題になったのが2017年。ついに過半数の大学生が、ほぼ本を読まなくなったと騒がれました。
2018年はやや持ち直したものの、48%が読まない、と。
大学生の読書時間別割合の推移
《全国大学生協連合会調査レポートより》
 
そして2019年12月24日の日経新聞朝刊の記事。

全年代を合わせ、1カ月に本を全く読まないとした人は49.8%に上った。2013年にまとめた同様の調査の28.1%から、大幅に増えた。

記事では「紙の本」を読まなくなったとしています。実際、「紙の雑誌」は特に読まなくなったよね、と。しかも20代が顕著だよ、と。

全く読まないとした人が特に増えたのは20代で、13年調査に比べ25.1ポイント増の52.3%と倍増した。

まぁ、高校生から大学生にかけて本を読まなくなっているわけですから、20代は読んでいないでしょうよ。
 
では、読まなくなったら何か問題でもあるの? という話ですよ。

「紙の書籍を読まない」の何が問題なのか?

“紙の雑誌を読んでいない”は当たり前

紙の雑誌を読んでいない》ということも含めて「紙媒体の書籍・雑誌」の問題を指摘しているわけですが、書籍と雑誌を同列に語るのはナンセンスだと、読書研究に携わる身としては思うわけです。
 
実際、紙の雑誌については「ま、そりゃそうだろうね」というのが正直なところで、特に意見も感想もありません。それは《紙の雑誌》の媒体としての役割の問題です。つまり「新しい情報の確認と摂取、情報の新陳代謝」という役割です。これは別の言葉でいば「情報の消費活動」です。
 
この視点で考えると、紙の雑誌は、Web媒体でいくらでも代替が可能というだけでなく、利便性速報性、あるいは趣味・嗜好の多様性という点で、断然Webメディアの方が優れているからです。さらに無料だったり、ゴミがでなかったりといったメリットも。
 
そう考えるなら、手軽で便利かつお得なWebメディアが勝つに決まっています。

“紙の本を読んでいない”も同じように当たり前か?

問題は「紙の本」です。
「いや、本だって雑誌と同じくWebメディアとか電子書籍に置き換わっただけじゃないの?」、「BLOG記事とかNewsとか読んでいる人も多いから問題ないんじゃないの?」── そういう楽観論はもちろんあるでしょう。「だから、若者は《紙の本離れ》はしていても、《活字離れ》はしていない」という理屈は成り立ちますし、しばしば議論になるところです。
 
本質的な部分で代替が可能な雑誌と同じように、

紙の書籍をWeb上のブログやニュース記事で代替することが可能なのか?

というところを考えなければなりません。

「書籍の本質」をどうとらえるか?

この問題は、書籍の本質をどう捉えるかによって、論争が起こりえます。
書籍も雑誌と同じく情報やノウハウの摂取、新陳代謝といった消費のためのメディアと考えれば、確かにブログや電子書籍でも「代替可能」と考えられます。むしろ検索によるアクセシビリティの高さを考えるなら、電子メディアに軍配が上がりそうです。
「紙の書籍」といっても、それが文字が少ない、内容も薄いビジネス書とか自己啓発書であれば、ブログや電子書籍で置き換え可能かも知れません。そもそも信頼性も担保されていませんし、その方法が読者にとって“啓発された気分”以上の成果や成長をもたらしてくれる保証もありませんし。
 
しかし、私は紙の書籍の本質を次のように捉えているのです。

空間軸に存在することで、コンテンツ内外を自由に行き来できる、学びのための教科書

もちろん異論は認めますし、この部分の違いは論争に値しません。単なる違いに過ぎませんから。

紙の書籍の本質:(1)空間軸に存在する

空間軸に存在するという特性は、学ぶ上で非常に重要なメリットがあります。読んでいる内容に疑問が生まれたり、不明点に出会ったりしたとき、自由自在に前に後ろに行き来しながら、内容を吟味、思索することが可能なのです。電子書籍だと、これがなかなかうまくいきません。
さらに、その都度、線を引いたり、書き込んだりしながら、著者の言葉のそばに自分の思索の跡を残すことが可能であり、まさに著者と対話することができ、さらに後になって、その思索と対話の痕跡を自分でたどることが可能なのです。

紙の書籍の本質:(2)学びのための教科書

学びのための教科書であれば、学びにふさわしい機能性が必要です。

①十分に編集された、一貫した主張と、それを支える論理構造がある

これはブログには求められません。粗製濫造のビジネス書や自己啓発書も同じですが…。
そのコンテンツの論点、主張、それを支えるロジック、根拠となるエビデンスなどが、しっかりと編集されており、全体として説得力のある論を展開できているかどうかが問題なのです。

②エビデンスに基づいている


これはブログによっては担保されていますが、読みやすい人気記事に限って、人口に膾炙することばかりにフォーカスして、根拠のない適当なことを語っていたりします。医療系、学習系といった、本来信頼性が求められるコンテンツでもこの傾向がありますので、残念な限りです。
とはいえ、書籍も、日本人著者によるビジネス書や自己啓発書も同じレベルですので、読むべき本を選ばなければなりません。

③学習の効果が高くなりやすい

①②にも、もちろん関連する話ですが、「学びのための教科書」と考えるなら、学びを支える存在でなければなりません。
電子メディアは次のような点で、学びに活用するには不便なのです。

  • メディアの特性上(仮説として“透過光”の性質が考えられています)、テキストの主たるテーマについての理解には問題ないが、詳細を記憶することが難しく、全体として理解と記憶が弱くなる。
  • コンテンツ内を行き来しながら、思考を巡らせることができない。
  • コンテンツのプロット、ストーリーに関する理解と記憶が明らかに下がる。
  • 一定期間経過した時の記憶の保持が悪い。

身近な例でいえば、パソコンの画面上でいくらがんばって誤字・脱字を探しても見つからず、印刷して初めて「あちゃー、ミスった。印刷しなおしじゃ…」という体験ってありませんか? あれは、電子メディア上の文字情報を脳が集中力高く処理できていない証拠なのです。詳しく知りたい方は次の記事をどうぞ。

「紙の書籍離れ」の問題というのは…

以上のことから考えると、「紙の書籍離れ」というのは、そもそも書籍をブログと同じレベルの「情報やノウハウの摂取・新陳代謝」としてしかとらえていないことによる問題だと考えていいのかも知れません。そして、お手軽さのために、未来への自己投資としての読書が知らず知らずのうちに損なわれている危険性もあるわけです。

これは日本人のサバイバル能力(情報化社会、知識基盤社会を勝ち残るためのスキル)が低下する可能性があるということでもあります。AIの時代に、情報処理能力や論理的思考力がなくて、どうやって主体的に仕事をしていくのか?と考えれば、それは明らかではないでしょうか。
 
紙の本を離れた日本人に残されるのは、誰かの指示通りに、機械的に丁寧な仕事をこなすことくらいってことになりかねません。
そうならないよう、紙の本、それも語彙が豊かで、論理も表現も深くて豊かなものを選んで読んでいこうではありませんか!

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