黙読と朗読・音読の違い

「読書という頭脳的行為を
 朗読という身体的行為に
 置き換えたがために、
 そこにはおのずから、
 読む人、聞く人の肉体が介在し始め、
 様々に人間的反応を引き起こす。」
── レイモン・ジャン著『読書する女』

 
小学校時代の音読の習慣が、速読の邪魔になっているという
意味不明の誤解が、速読業界界隈で語られることがあります。
 
これは、完全に的外れな指摘です。
 
もともと言語は音声から始まったもの。
 
人類が黙読できるようになったのは、
実は中世以降ではないかという指摘もあるくらいです。
 
 
かといって、音読の方が理解が深まるというわけでもありません。
 
音読すると脳が活性化する」ということは事実ですが、
脳が活性化したからといって、理解が深まるわけでも、
学習効果が上がるわけでもありません。
 
 
1つ言えることは、黙読と音読、朗読は、
完全に違う意味と価値を持った作業だということ。
 
音読には、ある種「言葉を体験する」という価値が加わります。
 
音のつらなりとしての響き、リズム、
言葉の持つ独特の響きといったものを
身体で体感するのです。
 
朗読には、そこにイメージや感情が加わります。
当然、「聞き手」が想定されています。
 
声の調子、読みのスピード、間といった、
あらゆる音韻情報をもって、その作品の価値を
聞き手に伝えるのです。
 
 
黙読は完全に自分の中で簡潔された作業。
「声に出す」という余計な作業に
脳を使う必要がありませんので、
理解が深まりやすいというメリットがあります。
 
そこで伝わるのは、純化された意味。
 
 
書籍から意味を越えた何か、
豊かさ、熱さ、響き・リズムといった身体的感覚を
伝えたいと思うならば、
身体を、魂を、動員せねばなりませんね。
 
 
速読、熟読、朗読。
読書の幅が広いほど、楽しみの幅が広がります!

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