読書教育研究に挑む僕が、大学生の君に「本を読んで欲しい」と願うワケ

今さら僕が語るまでもないことだけど、
大学生の君、本を読もう。
 
それも、軽く楽しく読めるような
自己啓発書やライトノベルではなく、
できることなら新書を。
 
なぜライトな本じゃだめなのかって?
 
それにはちゃんとした理由があるんだ。
 
でも、そのことを語る前に、
ちょっと君に尋ねたいことがある。
 
君は、東大の入学式で述べられた
上野千鶴子氏の祝辞の全文を
読んだだろうか?
 
もし、まだなら、ぜひ全文を読んでみて欲しい。

 

読んだという君。
君は恐らく、あの祝辞が
議論を巻き起こしたことをご存じのことだろう。
 
君自身は、あの祝辞を読んで、
どう感じただろうか?
  
あるいは、あの祝辞に対して、
こんな意見があったわけだが、
これを読んでどう感じるだろうか?

いや、そもそも、君はこの問いかけの
真意をちゃんと理解できただろうか?
  
蛇足を承知でいうと、saebou氏は
こう語っているのだが、

なんで上野先生の祝辞だけがあなたには政治的に見えるのかっていうことがまず問題で、そういうところを学ぶことから大学教育が始まります。

実を言うと、僕はこういう具合に言い換えたい。

なんで上野先生の祝辞だけがあなたには政治的に見えるのかっていうことがまず問題で、そういう問題に気づく、つまり自分の感情とか意見について、メタなところから問いを立てられることが、あらゆる学びの第一歩なのです。
(saebou氏のツイートを寺田が改変)

私の真意はご理解いただけただろうか?
 
そしてもう1つ。
僕はこちらのブログ記事に
いたく感銘を受けたんだけど、
君はこの記事を読んでどう感じるだろう。
あるいは、何を考えただろう?

この記事、今回の騒動を通して
「大学で学ぶということ」について、
すごく的を射た意見を述べている。
…と僕には思えるんだ。
 
もちろん君の意見が、
僕と同じである必要はまったくない。
 
ただ、なぜ君はそう思うのか?
そこを問うセンスを手に入れてもらいたいと
僕は思っているんだ。
 
 
ここでようやく、冒頭の話に戻すことにしよう。
 
そう。
「新書を読もう。」という僕の主張だ。
 
新書といっても、ライトなビジネス書テイストの
新書ではない。
 
岩波新書か、中公新書か、新潮新書か、
はたまた2005年以前の講談社現代新書か。
そんなところだ。
 
上野氏の言説や、くだんのツイート、
あるいはブログ記事を的確に
読み解けるだけの力を手に入れるための
修業としての読書だ。
 
君がそういった文章や新書を的確に読み解けるか、
それにまつわる言説を、
感情ではなく論理でもって判断できるか、
そこを問うて欲しいし、
それができるようになってもらいたいんだ。
 
 
なぜ、そう思うのかって?
 
それは、君が生きているこの社会、時代が、
まさに「知価社会」と呼ばれる社会だからだ。
 
あるいは「知識基盤社会」と文科省や
教育界では呼ばれている、そんな時代だからだ。
 
切り取られた断片としての情報を
ありがたがっていた時代は
とうの昔に過ぎ去っているんだ。
 
断片と断片をどう適切に処理し、
自分自身の糧として吸収するのか。
 
他の情報と比較し、相対化し、
価値を見極め、
自分の中の情報群の中に再配置し、
構造化していくのか。
 
それをまた新しい価値として、
どう世の中に発信していけるのか。
 
そこが問われる時代だからだ。
 
 
そんな時代に、君自身の心で感じ、
君自身のクールな頭で思考、判断し、
主体的に生くためには、
やっぱり負荷のかかる新書の読書が
絶対に必要なんだよ。
 
学術書ならなおよし、だ。
 
ただし、いずれにせよ
正しい本の読み方、処理の仕方は
学んでおく必要があるよね。
 
残念なことに、日本の小中学生をみると、
漫然と本をたくさん読んでも、
学力が上がらないか、
へたをすると下がる傾向すら見て取れるんだ。

 
 
この時代に、人の判断や煽り、フェイクニュースに
振り回されて疲弊してしまったり、
誰かのまっとうな意見を読み取ることができず、
反射反応レベルで意見してしまったり、
そんなことが起こらないように。
 
今回の祝辞も、それにまつわる騒動も、
そんな能力を試す、いい試金石だと
僕は思っている。
 
ぜひ上記のツイートとブログ記事を
丁寧に読み、自分がどう感じ、
その「自分が感じたこと」について
どう分析できるか確認してみて欲しいんだ。
 
 
上野千鶴子氏の祝辞に何を考えただろう?
 
まずは上野千鶴子氏の言説を
無心に受け止めてみることから始めよう。
 
予断を許さず!
 
賛成も反対も、賛辞も批判もそこから始まるんだ。
 
まずは心静かに、著者・発言者を信じて読む。
 
 
その過程で、自分で何か強烈な感情がわいたのなら、
それをクールに俯瞰してみてはどうだろう?
 
その場合、誰か他の人が語っている
同じ事象についての言説を読むのが一番効果的だ。
 
クールに俯瞰するっていう作業は、
その作業そのものに慣れるまでは、
自分の思考を相対化しうるような相手が
必要なんだ。
 
最終的にはあなたの感情も、あなたの意見も、
どんなものであってもかまわない。
 
それが君なのだから。
 
ただ、君の意見や主張、感情が
どこからわいてきたのか?
メタな視点から分析的に考えられる力を
ぜひ手に入れて欲しい。
 
何かを感じ、何か意見がわいてきたとしたら、
何か根拠があったはずだ、
 
それがどこにあったのか分析できただろうか?
 
恐らく同じ言葉、同じ主張を読んでも(聞いても)
多様な意見が生まれるものなんだ。
 
実はその根底に、例えば、

「入学式の祝辞とは」

というその人なりの定義があり、

「上野千鶴子氏が何を語ってきたか」

という上野氏についての文脈の認識があり、

「その上野氏をどう観てきたか」

というあなたの文脈があるんだ。
 
僕の言いたいことについてこられているだろうか?
 
情報には「地模様」と「図」があり、
この地と図が組み合わさるから、
同じ図を見ても違う印象が生まれ、
違う感想や発言が生まれてくるものなんだ。
 
大切なことは、あなたのその感情を生み出した
あなたの文脈、あなたの定義は
どうなっているかということ。
それをあなた自身が理解していること。
 

  
そして、なんだ。
 
こういう論理のトレーニング、
メタな思考のトレーニングは、
本来、読書を通じておこなうものだ。
…と僕は信じている。
 
 
大学の授業やゼミなどでも、
書籍や論文などを読みながら
トレーニングされるはずだ。
 
僕はそれを通年の読書法の授業として
大学生を対象として開催してきた。
 
今は、社会人の皆さんを対象として
読書講座をおこなっている。
 
 
それは著者の主張を正しく評価しうる
読書力の鍛錬であり、
世の中の偽情報に煽られないだけの
判断力の鍛錬なんだ。
 
残念ながら即効性はない。
 
でも、もしあなたが読書を変えたい、
もっと価値ある情報を入力し、
価値ある情報を出力していきたいと
願っているのなら、
こういう論理力、読解力を鍛えられるような
読書を積み上げていって欲しい。
 
世の中、それほど分かりやすい情報ばかりじゃない。
分かりやすい情報を誰かからもらって喜んでるのって、
どうなんだろう?
 
仕組まれ、隠された罠、嘘を見抜く力と、
複雑に見える言説からシンプルな意図を読み取る力。
 
そんな力が入ったら、君は素敵だと思わないかい?
 
僕は君に、そんな力を手に入れてもらいたいと願っている。
 
だから、何度でも君に伝えよう。
 
「本を読もう。できれば、ちょっと難しめの新書を。」

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