ラッスンゴレライ騒動から考える情報の「地」と「図」

ここ2ヶ月くらいでしょうか、ラッスンゴレライに関するデマ騒動がじわーっと世間に広がっていることをご存知でしょうか?
 
⇒えっ!知らない? ではこちらをどうぞ…

※すでにリンクが切れて消失しておりますので、削除しました。

ラッスンゴレライの歌詞に関する噂が、単なるこじつけなのか、本当に意図したものなのか、私には判断しようもありません。
 
それが分かったところで、どうということはありませんので、それ以上の興味もありませんし…。
 
ただ、一連の騒動を見ていると、私たちの「情報の受け止め方」の問題を象徴しているなぁと思うわけです。

私たちは情報の奥を読んでしまっている!

どういうことかといいますと、私たちが見ている情報というのは、喩えて言うなら二層構造の「上」の部分なんですね。
 
本にせよ、新聞にせよ、ネットの情報にせよ、目の前で読んでいる情報は「上」の部分。
 
これを「図」の情報と呼びます。
 
この情報に描(書)かれていないニュアンスを付け加えてしまう情報があります。
 
それが「地」の情報です。
 
たとえば、同じ色のネクタイでも着ているシャツの色によって、派手に浮いて見えたり、逆に沈んで見えたりします。
 
この場合、シャツが「地」で、ネクタイが「図」。
 
同じ本でも、読んだ時の気分や問題意識によって「いい!」と思える箇所が変わってきます。
昔読んで「いい!」と思った本が、時が経って読み直したら「…あれ?」となったり。
 
この場合、自分の意識の状態が「地」で、本が「図」。
 
地というのは「地模様」ともいえますし、「文脈」と呼ぶこともありますよね。

「地」の情報には2種類の文脈が折り重なっている

この「地模様」には「その情報の発信者の文脈」「読み手の文脈」が折り重なっています。
 
著者の一連の著作を読んでいる人は、同じ本を読んでも深い読み方ができますよね?
 
それは「地模様」の中に浮かび上がる「図」を読んでいるんです。
 
地模様次第で、図のニュアンス、伝えてくる情報量が変わってくるわけです。
 
 
名著『7つの習慣』でも、若い女性にも老婆にも見える「だまし絵」を使って私たちの物の見方を固定的にしてしまう状況を
「パラダイム」というキーワードで語っています。
 
具体的には、この記事の冒頭にある絵の一方だけを学生に見せておいて…
 
あとで、こちらの絵を全員に見せるわけです。
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※クリックすると、さらにリアルな絵が出て来ます。(週刊ダイアモンド、2006年12月02日号の表紙)
 
すると、最初に老婆の絵を見せられていた学生には老婆にしか見えず、その逆もまた…というわけです。
 
そういえば、心のピュアさが判定できるだまし絵なんてのもありましたっけ。(笑)
 
小学生のけがれていない子供と、けがれた(笑)おじさんとで見える絵がまったく変わる…。

ラッスンゴレライのネタについての噂もそう。
 
「なんであんなおもしろくない、リズムだけのやつが売れてるんだろ…」と、ネガティブにとらえていた人と、「ラッスンゴレライ、超ノリノリでいい!」と、ポジティブにとらえていた人とでは、同じデマ情報と接したときに、全く違う印象を持ってしまいます。
 
それ以外にも、日常、どういう情報と接していたかでニュアンスがまったく変わったはず。(ラッスンゴレライの「はまねやん」さんの日本嫌いネタのツイートを見たりとか、陰謀論系のサイトだったりとか…ネットはゴシップ、陰謀論、妄想にあふれかえっていますから!笑)

あなたには、夜空に「小熊」が見えますか?

これは「星空を見上げたときに、どんな絵が見えるか」という星座の見え方とも似ています。
 
夜空にはただランダムに星が光っているだけですが、そこに動物やらモノの姿を描き出すことが可能です。
(「こぐま座」を知って40年になりますが、私には未だにあれが「こぐま」に見えず…汗)
 
今回、何でもない言葉という点を、「ラッスンゴレライ嫌い!」とか「あれが売れたのには裏がある?」というような地模様によって、独特の線画にして(こじつけて)しまったわけです。
 
一度、そういう文脈に身を置いてしまうと、何の意図も方向性も持っていない単なる情報が、すべて妄想の産物たる星座の絵の精度を上げる情報に見えてしまいます。
 
・北野武さんがラッスンゴレライのネタを全否定していた。
・他にも大物芸人から毛嫌いされている。
・はまねやんのTwitterで「日本嫌い」の発言をしていて、騒動後にアカウントごと削除された。
 
すべて「何かあるに違いない!」と。(笑)

どうしたら「地模様」から自由になれるか?

この自分の中に織り上げられた文脈(地模様)というのは、意識的に外す努力をしないと(してもなお)、それに「とらわれないで図を、あるがままに見る」のはとても難しいのです。
 
『7つの習慣』には、こういう言葉があります。

私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、
 私たちのあるがままの世界を見ているのであり、
 条件づけされた状態で世界を見ているのである。

『成功の掟』という本には、こういう言葉も出て来ます。

「想像力と論理が対立している場合、
 必ずといっていいほど想像力の方が勝ちをおさめる。」

私たちはどんな情報に対しても正しい判断を下せるとは限りません。
というより、正しい判断を下せないことの方が断然多い。
 
だから、まずは「自分のこの判断の根拠は何だろう?」、「自分のこの判断に影響を与えた地模様(文脈)は何だろう?」と冷静に考えることが必要です。
  
判断の根拠が「限りなく信頼できる」と思えるまで検証する癖をつけたいものです。それが情報リテラシーの第一歩。
(ネットはソース不明な情報が氾濫しています。新聞の情報もしばしば色づけされていますよね。)
 
実は、もっと大切なのは、もしそれが「限りなく確か」と言い切れなければ、ネットなど「公の場」で発信しないこと。
 
煽られ、だまされないリテラシーは手に入れたいところですが、それとは別にゴシップや妄想を楽しんでも、別にいいと思うんです。
でも、それを公の場であるネットで拡散してしまうから、おかしなことが起きてしまいます。
  
この話は、うちの小学校4年生の息子にも言って聞かせたことがありました。
 
「こういうネットのネタは、へーって自分で楽しむのはいいけど、
 友だちには絶対に話したらだめ。
 絶対的な確信が持てない情報を安易にしゃべると、
 それが間違いだったとき、
 信頼を損なうし、デマを拡散したことになるからね。」

 
うちの息子が通う小学校でも、ラッスンゴレライのデマが話題になったそうです。
その時、息子は「お父さんの言ったように、『それって単なる噂だよね』って流しといた」そうです。
 
教育って大切ですね!(^^; あーよかった。
 
 
ということで、ラッスンゴレライの話をきっかけに情報処理で気をつけるべきことを書いてみました。

  • 自分が見ている「図」の情報は、「地」の情報によって色が付いてしまっていることを知っておこう。
  • 「限りなく確か」と確信が持てるまで、情報を検証しよう。
  • 論理的でない妄想ネタは、だいたいにおいて魅力的に見えてしまうもの。
  • 妄想やゴシップは自分(や身内)だけで楽しんで、絶対に公の場に持ち込まないようにしよう!

という感じで、情報リテラシー向上の参考にしていただければ幸いです!

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