思考と情緒の正体は○○である、というお話

「母国語の語彙は思考であり情緒なのです。」
── 藤原正彦著『祖国とは国語』

すべてを「やばい」で表現してしまう今どきの若い子は、
日本人として進化形か、退化形か?
 
これは、コミュニケーション能力という意味では、
進化といっていいんでしょうね。
 
不要な部分がそぎ落とされ、
逆に使われる部分が豊かになっていく…
 
言葉がそぎ落とされ、声のトーンが豊かになっていく?
 
それは環境に適合しての進化だとするなら、
彼らの言語環境は驚くほど貧しくなっているということだし、
リアルなコミュニケーションの世界に、彼らが生きている
ということなのでしょう。
 
でも、言葉のひだをうしない、少ない言葉でしか
感情や意志を表現できないとしたら、
私たちは自分自身と、あるいは他の誰かと、
まっとうにコミュニケーションをとることが可能なのか?
と心配になります。
 
 
ちょっとずれた話に聞こえるかも知れませんが、
僕は音楽家に憧れます。
 
自分の気持ちを音楽として、
あんなふうに自由自在に奏でられたら…と。
 
同じように、文学作品を書く人に憧れます。
 
自由自在に、自分の気持ちや伝えたいことを
表現できたら、どれだけステキなことだろうって!
 
 
逆に、言葉がないために自分の想いを伝えられないとしたら、
それはすごいストレスになるのでは…
 
例えば「センチメンタリズム」という言葉を知らないが故に
自分の気持ちの所在がつかめず、
イライラ悶々としていた男がいたように記憶しています。
 
確か「下人」って呼ばれてましたっけ…
30年前の高校時代の国語の授業「羅生門」の記憶ですが、さて…
 
 
むかーし昔、とある国の哲学者が

「知は力」 ”scientia est potentia”

と語りました。
 
ものを見る眼の画素数は、基本的に言葉で決まります。
 
誰かの話を受け止める「受け皿」たるザルの
目の細やかさも、やはり言葉で決まります。
 
知ることによって見えてくるものがあるのです。
知ることによってしか見えない世界があるのです。
 
いや、待て。
 
ScientiaすなわちKnowledgeって「知識」だよね?
知識が力なのか?
 
もっと博い意味の「知」でないと意味がないだろう?
 
そう思ったあなたは、言葉の豊かな人。
 
誰かが発した言葉、何かに書かれている言葉の
1を聞いて100を知れるのか、
発せられ、書かれた言葉の半分を知れるのか…
 
この違いが何を生み出すのか、想像に難くありません。
 
だから、

「母国語の語彙は思考であり情緒なのです。」
── 藤原正彦著『祖国とは国語』

だから、私たちは母国語をもっと学ばなければならないのです。
 
豊かな人生を生きるために、ね。

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