[04]速読術の理論 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 速読に関する書籍を手に取ると、シナプスだとか海馬だとか様々な脳科学用語を駆使して、いかに人間の脳がすばらしいか、そして速読術(しかも1分間に数千文字を超えるスピード)がいかに科学的なものか、力説してあります。

 確かに私たちの脳の潜在力は非常に素晴らしいと考えられていますし、私たちもそれを実感することが多々あります。しかし、だからといって「だから速読術は可能なんです」と言われて、それを信用してもいいのでしょうか?

 読書が知的な活動であることは、誰も否定しないでしょう。そして、私たちは知的な活動についても得意・不得意があります。それなのに、誰でも手軽に確実に速読術を修得できるなどというのは、夢見心地な空論としか思えません。(ひどいところは、人間の脳の可能性を語るのに、特殊な脳の使い方をするサヴァン症候群の患者さんの例を持ち出したり、アインシュタインなど世紀の天才の例を持ち出したりします。アインシュタインは、そもそも脳が通常の人と違っていたことは、彼の脳を解剖した学者たちによって明らかにされています。)

 とことん冷静になった上で、「では、速読が可能だという理論は?」と考えていきましょう。

★速読術を可能にする理論~うそ?本当?~

 速読に関する書籍を手に取ると、シナプスだとか海馬だとか様々な脳科学用語を駆使して、いかに人間の脳がすばらしいか、そして速読術(しかも1分間に数千文字を超えるスピード)がいかに科学的なものか、力説してあります。
 確かに私たちの脳の潜在力は非常に素晴らしいと考えられていますし、私たちもそれを実感することが多々あります。しかし、だからといって「だから速読術は可能なんです」と言われて、それを信用してもいいのでしょうか?ここでは、よく聞く理論を検証していき、速読術を可能にする理論を探っていきたいと思います。

視野を広げればいいのか?

 「視野を広げる」ことの重要性をうたうメソッドはたくさんあります。そしてそれぞれに視野を広げることの意味合いが違っています。ですから「いい」か「悪い」かという判断はできません。
 しかし単純に「読む視野を2倍に広げれば読書スピードは2倍になる」と主張しているとしたら、それは明らかにウソです。読む視野というのは、脳の情報処理能力等に応じて無意識のレベルで決定されるものです。それを無理に倍にすれば理解が悪くなるだけです。
 また視野が広がった分、すべて脳が処理できるとしたら、複数行にわたる情報が同時多発的に眼に飛び込んでくることになります。これを脳が正しい文章構造に戻して理解することは可能なのか、そして行末と行頭で分断されて無意味な言葉の切れ端になってしまった部分はどう処理されるのか。それらすら処理できるほどに、私たちの脳は優秀なのか。残念ながら納得のいく科学的説明は見つかりません。

★参考記事1 >>視野の3層構造 ~脳の視野について~
★参考記事2 >>流れ像が視野を広げる ~広い視野の問題点~

視点の移動スピードを高速化すればいいのか?

 視点の移動スピードを上げれば読書スピードが上がるという幻想は、読書の研究者によっても否定されており、視覚研究の成果を見ても破綻しているため、そのような主張をするところはほとんどありません。
 私が見つけた唯一の教室は、ホームページに堂々と、眼の移動スピードを2倍にすれば読書スピードも2倍になり、視野を2倍にすると合計で4倍になる...というような子供だましの理論を展開しています。正直、驚きました。(--;

 視点は内容を読み取るために、一点に約0.3秒停留し、約0.03秒で次の点にジャンプします。その停留時間もまた無意識のレベルに支配されているのであり、通常、理解するのに必要だから停留しているのです。さらにその0.3秒のうち0.1秒程度は眼からの情報は脳に伝えられていないことも実験で明らかになっています。...ということは、停留時間を削ると眼から脳に情報が伝えられないままに移動していくことになってしまうのです。ですから、停留時間を削るという発想はナンセンスなのです。だからといってジャンプの時間である0.03秒を削ってもたかが数%のスピードアップにしかなりません。

★参考記事 >>速読を科学する(2)

文字から直接イメージして理解すればいいのか?

 そもそも「イメージする」能力を持った人がどのくらいいるのか、私には分かりません。そしてそのようなイメージ能力は成人でもトレーニングを積めば鍛えられることは科学的にも分かっていますが、だからといって劇的に高められるのか、どの程度のことが可能になるのかは、誰にも分かりません。
 ある流派では「単語」(文字情報)から「イメージ」を作る練習として、単語とイラストを結びつける練習を取り入れています。しかし言葉の持つイメージというのは単純ではなく無限の広がりを持つものです。その無限の広がりの中で、文脈に応じて限定したものを選んでいくものです。それを無視して、固定したイメージを作ることが本当に読書能力の向上に役立つのか、はなはだ疑問です。もちろん、イメージ力を鍛えるトレーニングとしては価値があると思いますが...。

右脳に写真のように焼き付けるというのは本当か?

 「写真記憶」という言葉を眼にすることがあります。本に書かれている文字をすべて脳に焼き付けるのだそうです。実際、そのような能力を持った人は存在します。神戸のサカキバラセイト君もそのような一人だったと報道されていました。その時に学者がコメントしていました。「このような見たものを記憶し、そのまま再現する能力を持った人は10万人に1人程度の割合で生まれる」と。

 「生まれる」のだそうです。そういえば、アインシュタインも脳の構造(組成)が通常の人とは異なっていたことが分かっていますし、エジソンもそうだったのではないかと言われています。またサヴァン症候群の患者も脳の異常故に天才的な能力を発現しています。いずれも、脳がたりない部分(言語能力)を補うために、ある部分を発達させたことで見られた特殊な例です。

 冷静に考えてみてください。私たちは日常的に、見たものを思い出そうとする場面がたくさんあります。つまり、日頃から鍛えているのです。しかし残念なことに日頃よく見ているものですら思い出せません。脳は眼に写したものはすべて覚えていると主張する学者もいる一方で、ディテールは記憶されていないとする学者もいます。どちらが正しいかは分かりませんし、ひょっとすると覚えているけれども思い出す回路が発達していないだけかも知れません。しかし、もしあなたが「アンパ○マンの絵を描いてください」と言われてとまどうようなら、あなたにとっての真実がどちらかは私が説明するまでもないでしょう。単純なイラストすら頭に残っていないのに、本の内容がすべて頭に残ると信じる根拠はどこにあるでしょうか。

 また、百歩譲ってそれが可能だったとしても、それは読んでいるのではありませんよね?脳内に残っている文字を意識に取り出す作業が必要だとすると、「速読術とは?」で紹介した1分で読んで、1時間かけて思い出す先生と同じことになってしまいます。
※ただし、「見た絵を再現することはできなくても、照合する(見た絵を探す)ことは可能」だという説には一定の説得力があります。それが完全な照合でなく、印象程度のものであっても、です。この考え方に基づいてメソッドを構築しているのが先述のフォトリーディングですね。ただし、「見る」際に、意識を介入させず無意識でなければならないとしています。

音声化をなくせばスピードが上がるのか?

 速読に関する本を読むと、ほとんどすべての本に「音声化をなくせ」と書いています。(私も書いたことがあります。すみません。(--; ) また、速読をしている時の脳波の状態を提示しながら「音声化しないこと」の科学的な正しさをアピールしているものもあります。しかし、それは『速読ができる人」、つまり「結果」であって、「では、どのようなトレーニングをすれば、そのような状態になるのか」という「原因」、「過程」の説明にはなりません。

 実際、「文字を読まないようにして、見て理解するトレーニング」というものがあるかというと、それはありません。そして、私たちが文字を修得する過程で「読み上げて覚える」という手順を踏んだ以上、あるいは根本的に文字というものが元々「音」を記号化したものである以上、音声化をなくしては理解できないし、理解できたとしても安心感が得られないものなのです。

 ではどうしたらいいのかといえば、音声化の回路が必要なくなるくらいまで、徹底的に本を読み倒すしかありません。脳は何度も何度も同じ作業を続けていると、徐々に省エネ化していき、脳波測定で「活性化していない(不活化した)状態」として現れるようになります。つまり、音声化の回路(主に左脳の聴覚野)が使われていないというのは、それが省略されるぐらいに熟達した状態になっているということだと考えられるのです。

 とすれば答えは見えてきますね。「音声化はなくすものではなく、結果としてなくなるもの」であり、「なくせばスピードが上がるか」というのは「前提がおかしい」のです。

 ただし、習慣として口をもぐもぐさせながら読んでいる、のどが動いている、実際に声に出している、というのは習慣以上の意味はなく、その癖をなくすことでスピードも上がります。まずは「音声化の程度を軽くする」ことから始めるといいでしょう。

高速道路を降りたときに感じるスピード感の喪失を利用して速読ができるのか?
 高速道路を降りた直後に、自分の運転している車のスピードがゆっくりに感じる...という脳の慣れを利用して速読術を修得しようというユニークな発想をするところもあります。
 しかし、もう少し「高速道路を降りた直後」のことを冷静に考えてみましょう。

・果たしてその効果は5分以上続くでしょうか?
・何度もその体験を繰り返していると、それが定着するでしょうか?
・果たして信号機や曲がり角、人通りの多い道路でも「気がついたらかなりのスピードを出していた」という状況になるでしょうか?
・果たして助手席や後部座席に、生まれて間もない赤ん坊や大事なお客様を乗せていても「気がついたら...」という状況になるでしょうか?

 さて、いかがでしょうか。もし「高速道路を降りた時の感覚」が速読修得の根拠になりうるとしたら、上に挙げた4項目に「No」と答えた人は、読書の度にスピード感を狂わせるトレーニングをしなければならないかも知れませんし、それを5分ごとに繰り返さないといけないかも知れませんし、難しい本や仕事上の重要な書類は速読できないかも知れませんね。
 
 それに本当にそれだけの理論で速読が可能なら、今頃どれだけたくさんの速読術修得者が生まれていることでしょう!?
 
★参考になる記事 >>速読教室をどう選ぶか(3)
 
 以上、速読の可能性について考える前に、今唱えられている理論は果たして本当なのかということを考えてみました。これと併せて、各教室が出している本、理論を読んでみてください。
 
 読書という営みは、文章という言葉のつながりを解きほぐし、自分の体験・記憶とつなぎ合わせ、意味を再構築するという、明らかに知的な(知性の)作業なのです。くどいくらい書いていますが、脳の無限の可能性と私たちの知性(一般的にIQで表されるもの)は違います。アマゾンの広大な森林を見て、「富を生み出す莫大な不動産がある!」とは思いませんよね?誰が支配しているのかを調べた上で、手続きを踏まえて、開墾するための道具と人手をそろえますよね?脳を使うというのは、ある意味それに似たものだと考えていいのではないかと思います。

 ぜひ、科学的な体裁をした言葉に惑わされず、冷静に見ていってください!
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