ビジネス速読術講座
[40]多読と重ね読み
速読術を修得していない人によくある勘違いの1つが「速読を身につけると本をたくさん読めるんですよね」っていう、なんとも夢見心地な発想です。
まぁ確かに「たくさん」読めないことはありません。ソフト開発、教材開発、本の執筆、メルマガ・ブログの発行など、日々の仕事に追われている私でも年間150冊は読んでいますからね。(今、だいたい16時間労働になっていますから、読書の時間って本当に限られるんですよ~(--;)
ですから「どんなに忙しくても年間100冊は読めますよ」というのは本当です。まぁたくさん読んでいる人って、年間数百冊読んでいらっしゃいますので、私なんて「読んでない」方ですよね。
でも、もともとの読書家にせよ、そうでないにせよ、速読の目的を「多読」にするってのはどうかな~と思ってしまいます。私が時間をもてあますようになったら、数百冊も千冊も読もうと思うか?・・・かなり微妙です。
ある集中レッスンの受講者の方とお話をする機会があったのですが、その方は「とにかく読書量が増えました」と喜んでいらっしゃいました。どうも1日1冊近く読んでいらっしゃるようでした。
でも「量をこなすことも大事ですが、重ね読みはしていますか?」って聞いたら「してない」と・・・。
いわく「量をこなすことで、やがて質に転化することを期待しているというか、何かしら結晶のようなものが残っていってると信じています」とのことでした。
確かに量をこなすことが質に転化するという話は、よく語られます。そして1度しか読まなくても何か断片のようなものは残っていくでしょうし、数をこなしている中で、それらの断片が有機的な結びつきをしていき、知識として蓄積することは考えられることです。
しかし、です。
それはあまりにももったいないし、非効率です。
量が質に転化するのは、それ相応の取り組みをした時に起こりうることであって、読書で、しかも1回通して読んだだけの読書でそれが期待できるかどうかはかなり疑問です。
そもそも読書は他人の思考を借りておこなうだけの行為であって、その思考がもともと自分の中に存在した場合には「確認」するだけでも、その道筋をたどることが可能です。
しかし、自分の中に完全に同じ思考が存在することはありませんし、もしあったとすればその本は読む価値がありません。ということは、やはり確認するだけの作業では、そこに書かれているものはあなたのものにはならないと考えるべきでしょう。
ショウペンハウエルは「読書について」という著書の中で、ただ沢山読むだけの読書について
「たくさんのことを次々と重ねて書いた黒板のようになる」
として否定しています。そして
「熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。」と主張しています。
また同じ本の中で「多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る」とすら書いています。
いかがでしょうか?
確かに他人の考え方や意見を無批判、無検証に受け入れるのはあまりに浅はかです。偉そうに語っている人でも、実は全部他人の受け売りっていう場合もありますからね~。(--;
とはいえ、私たち凡人は弾力性云々の前に、まずは知識を仕入れることが重大な課題です。ですから、まずは他人の受け売りだろうと付け焼きだろうと、とにかく知識と情報の収集を求める姿勢は大切です。
しかしその場合だって、1回読んだだけで新しい思考法や哲学が吸収できのか考えなければなりません。2度、3度と読むことによって初めて知識の吸収も可能になりますし、読み重ねていくことによって初めて、言葉の中にこめられた深みに気づき、1度目では気づかなかった点に気づき、本当の意味で自分のものとして吸収することが可能になります。
ですから、知識を吸収しようとする場合ですら、私たちはまず薄っぺらな多読を拒否し、同じ本を2度3度と読み重ねるべきなのです。
そしてさらに、単に著者の言葉のカーボンコピーを語り、著者の言葉を表面的にもてあそんで思考しているふりをするだけの軽さから抜け出すためにも、その言葉を自分に刻み込んだ上で思慮・行動し、自分の知恵へと昇華していかなければなりません。
確かに出会いは多い方がいいですよね。年間7万冊も新刊本が出版される時代です。
膨大な本の前に立ちつくして呆然とするぐらいなら、確かに薄っぺらでも多読をした方がよさそうにも見えます。しかし、それは自己満足以上のものではありません。
もしあなたが自己満足以上の成果を求めるのであれば、多読によって出会った本から「これは」と思えるものを選び出し、3色ボールペンと付箋を手に、重ね読みしてみてください。
私たちが読書に求めるべきは、たくさんの知識を得ることでもありますが、それだけで終わってしまっては、あまりにももったいない話です。
池はいくら沢山掘っても、水を補充してやらない限りいつか枯れてしまいます。
しかし泉を掘り当てることができれば、水はずっと新鮮な状態で満ちあふれています。泉を掘るのは池を掘るよりも難しいかも知れません。池を掘った経験がないとできないかも知れません。深く掘らないといけないかもしれません。
速読術を修得する目的は沢山の池を掘ることにあると考えるのはもったいない話です。
ぜひ、泉を掘る道具として速読術を活用してください。効率を上げることができたら、その次に効果を上げることを考えてみましょう!
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